『論考』から『探究』 自閉症から定型発達へ

 哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの著作に『論理哲学論考』『哲学探究』がある。ヴィトゲンシュタインの哲学は前期と後期に分かれるが、『論考』は前期の『探究』は後期の代表作である。

 今回の文章で提起したいのは、『論考』から『探究』への哲学の変化が、自閉症的世界観から定型発達的世界への変化として読めるのではないだろうかということである。 

 後からの判断ではあるが、ヴィトゲンシュタインアスペルガー症候群だったのではないかと言われている。現在の精神科の診断基準として使われているDSM-Vでは、アスペルガー症候群自閉症の概念に吸収され、自閉症スぺクトラムとしてひとまとめにされている。そこでは、従来のアスペルガー症候群自閉症の程度の軽いものとして扱われているのである。つまり、ヴィトゲンシュタイン自閉症的な傾向を有していたということができる。

 『論考』が自閉症的世界観を有しているというのは、どのような点にあるか。それは言語と対象が一対一対応になっているという考え方である。たとえば「イス」という言葉が現実のイスを指し示しており、「イスの上にみかんがある。」という文は、現実のイスの上にみかんがのっているという状況を描写しているというような言語観である。

 確かに言語にはこのように現実を描写する役割がある。しかし言語は多様な側面があり、このような描写の役割だけをしているわけではない。たとえば、挨拶、依頼、期待、命令、といったような役割は、描写という点からだけでは説明ができない。ヴィトゲンシュタインが、『論考』後に言語の別の側面に気づき『探究』の言語観へ変化したのも、このような点が主なものであった。『探究』では命令であったり、直示的定義の難しさなどが語られている。

この二つの作品の対比を語るためには、先に人間が言葉を発するときにどのような言葉を選ぶか、その選び方についての考察が必要である。(続く)