インドの祈祷師は日本の妖怪に対処できるのか(追記)

思考実験

 一つの思考実験をしてみたい。それはインドの祈祷師は日本の妖怪に対処できるのだろうか、というものである。これは祈祷師に限らず、呪術師、シャーマンなどでもよい。また、インドでなければならない理由はない。つまり、この問いは一般的にいえば、シャーマンや祈祷師などの職業は、別の地域でも活躍できるのかということになる。

 

シャーマンとは

 まず、シャーマンとは何だろうか。ある村で病人が出たとする。その病が身体的なものではなく、現代でいうところの精神病や神経症のような症状の場合、原因がよくわからないために、悪魔に取りつかれたという解釈がなされる。その病を治療するためにはとり付いた悪魔を追い払う必要がある。その追い払う役目を担うのが、シャーマンや祈祷師、呪術師などの職業なのである。追い払う方法は、主に儀式である。その儀式は地方によって異なるし、悪魔の種類によっても異なる。また、現実的な話であるが、その儀式を依頼する家族の経済状況によって、儀式にかけられる資財がことなるためそれによっても儀式は変わってくる。儀式は夜通し行われ、村中のものが参加し、盛大に行われるものもある。このような儀式によって、悪魔を追い払い、患者の症状を治療するというのがシャーマンや祈祷師の役割である。

高度専門職としてのシャーマン 

 このようにシャーマンや祈祷師は、悪魔や魔物という存在の有無が定かではないものを相手にするため、現代人の目から見ると、前近代的  荒唐無稽なものにみえるだろう。しかし、この仕事は決してでたらめなものではない。体系だった教育のもとに専門家が育成され、その教育には何年もかかるという高度専門職なのである。儀式の執り行い方、悪魔の種類、患者の症状から悪魔の種類を判別することなど、覚えることは多岐にわたる。

相互信頼性

 シャーマンが想定している悪魔や魔物というのは、通常土着的なものである。すなわちその民族に特有の魔物なのである。そのような魔物は、勝手に想定されているわけではなく、伝承や神話などの形でその民族に伝統的に受け継がれているのである。したがって、魔物の存在は、シャーマンのみならず一般の民衆にも共有されているのである。つまり、病人が出たときに、まずはその家族が悪魔に取りつかれたという判断をし、シャーマンに依頼をするわけである。このような、相互の信頼性がシャーマンの治療の前提となっているわけである。 

シャーマンは別の地域で仕事ができるか

 しかし一方で、どの民族にも名称は違えど、悪魔や魔物は存在するし、それに対処する職業も存在するのである。そこで一つの疑問が浮かぶというのは、ある民族の祈祷師が、別の地域に行った場合に仕事はできるのか、というものである。

 シャーマンの土着性

 インドの祈祷師はインドの妖怪を想定して訓練を受けている。その妖怪にはインド流の名前がついているだろう。妖怪とは言わずに魔物というかもしれない。インドの妖怪を想定して訓練を受けた祈祷師は、通常、インド国内で、祈祷・おはらい等を依頼され、それは○○という名の悪魔の仕業だから、その悪魔に合わせた儀式を執り行う。そして儀式が終われば、祈祷師、依頼者共々悪魔は去ったものだと安心し、また平穏な生活が送れる。

インドの魔物と日本の妖怪は同じか

 ではこのインドの祈祷師を日本に連れてきてお祓いをさせるとどうなるだろうか。当然日本の妖怪にはインドの妖怪とは違う名前がついている。ここでは色々な考え方ができる。一つは日本の妖怪もインドの妖怪も元々は同じもので、ただ呼ばれ方が違うということである。もう一つは名前も違うし、実体も全く違うものだという考えである。

シャーマンが決めるしかない

 どちらが正しいのだろうか。それはインドの祈祷師自身が決めるしかない。インドの祈祷師の考え方次第である。彼が、インドの妖怪も日本の妖怪も名前が違うだけで実体は同じものだと考えれば、彼は依頼を引き受けるだろう。インドと日本の妖怪は全然別物だから自分には対処できない、と考えれば彼は依頼を引き受けないだろう。

 したがって、日本人の依頼を受けることにしたインドの祈祷師は、日本の妖怪は名前が違うだけで、実体は同じであろうという考え方を持っている、と想定できる。もし日本での儀式までに時間があるならば、彼は日本人に頼んで、日本の妖怪の名前を見せてもらい、インドの妖怪との照合をはかり、今回依頼された問題を分析し、これはインドで言う所のこの妖怪と同じだということで、妖怪を断定し、その妖怪ならばこの儀式が使えるはずだということで、準備をして日本に向かうだろう。そして無事に儀式は終了し、日本の家族も安心してまた平穏な日常を送る。

 以上が思考実験の概要であるが、ここでいくつか問題が生じるので整理してみよう。このような前近代的とも言うべき祈祷の意味は何か。例えば、どういう問題があって依頼が行われるのか。適応不適応の問題はあるのか。

 祈祷師に依頼が入るためには依頼主の「悪魔に憑かれた」という解釈をしなければならない。例えば妻が数日前からベッドから起き上がれなくなり、表情も虚ろで何もする気が起きないという症状があるとする。これは現代医学でいうならばうつ病と解釈されるかもしれない。だがその家族はそれを悪魔に憑かれたと解釈した。うつ病であれば病院へ行くが、悪魔に憑かれたならば、祈祷師へお願いしなければならない。そしてこれが成立するためには、第一に夫の悪魔に憑かれたという解釈が必要である。そして治るためには病人である妻が普段から悪魔的世界観を生きていなければならない。

 「インドの祈祷師は日本の妖怪に対処できるのか」という命題を検討するとき、考え方はいくつかあるが、一つは日本の妖怪とインドの妖怪は同じか違うかという問題がある。これは端的判断不可能である。そしてもう一つは「対処できるのか」という点である。ここでの主語が単なるインド人ではなくインドの祈祷師となっている所にポイントがある。彼は素人ではなく何らかの訓練を受けた専門家だということである。専門家を専門家たらしめている所以は事実をしっているかどうかにあるのではなく、その問題に対処できるかという点にある。